放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

ツ、イ、ラ、ク

海の底から上弦の月にいる君を眺めている。月から海の底は見えるのかな。私からはただ、眩い光だけが見えていて、本当の君は見えていないのかもしれない。

 

初めてステージから降りたのは小学四年生の時。順位表が冊子に掲載されなくても、桜蔭くらい受かると慢心して、中原図書館にある児童文学を読み切るという謎目標を立て、それを遂行するために受験勉強の時間が減った。もちろん冊子に名前は乗らなくなった。でも冊子に名前が漢字掲載(特に優秀な100人くらいは名前が漢字で掲載されるのだ)されてるか、カタカナ掲載なのかで母親が発狂しているのを見ないで済むのは、子供ながらに心が安らかだった。

 

次にステージを降りたのは大学受験の時。社会科特講というエリート集団(でもないんだが、16歳で2万文字の論文を年に2本書くような子供たちは自分たちのことをエリート集団だと勘違いしていた)の中で唯一東大にも医学部にも一橋にも行けなかった。行けなかったから、もう日本を背負うとか、ウーマンリブとか、女性たちのロールモデルとして生きなきゃいけないとか、そういうことを考えずに大学生活が送れて幸せだった。恋とか愛とか、フェリスの周りのみんながバカにしていたことができて幸せだった。

 

ステージを登ってしまったのは就活の時。大手企業に行かないと、高校同期に悪いなと、自分がいるべき場所より高いところへ顔採用で無理やり入った。

 

でもやっぱり、高校同期たちと同じようには出来なかった。出来損ないだから、鬱になって会社を辞めたし、そんな私を支えてくれる家族も男もいないので、水商売をする事になった。

 

水商売をするようになる事を「水に沈む」というらしい。私は海の底にいる。海の底は、誰も争っていなくて、平和そのものだ。

 

もう高校同期と、恋人の学歴とか年収とか、早く結婚しただとか、子供とか、子供の学歴でデュエルしなくていい人生なのは、幸せなんだけど、わたしはどこまで落ちていくんだろう。時々不安になる。

 

私は私の分身である君のことを思う。隣で肩を並べて、張り合って勉強していた頃の君を。君は成功して、月の上で暮らしている。でもそれは、君が無理をし続けた結果であることも、私は解しているから、君のことが心配なのです。

君の翼がとけてこちらに落ちてこないように、君がイカロスにならないことだけを、ただ、冷たい海で祈っている。