放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

昭和

小学生の頃、文通が趣味だった。もう、誰も返事をしてくれる相手がいないから、あまり手紙を書かなくなってしまったけれど、手紙を書くこと自体は好きなままだ。この前、レコードが好きと言った還暦すぎのお客さんに、私はちあきなおみの「ねえ、あんた」が好きだと伝えたら驚かれた。

私はもしかしたら、昭和97年を生きているのかもしれない。未だに赤線の匂いのする街で、母なるものを探し続けている。

 

あの戦争で、歴史的敗北をしなかったら、この国における宗教的なパラダイムシフトはどうなっていたのかな、ということをずっと考えている。今のこの国の、宗教、思想への曖昧な姿勢が、何も考えていない大衆を作り上げているように思う。私はdas man には恋はできない。

信ずるものを持っていた当時の青年たちに焦がれている。三島由紀夫が好きだった14歳の頃から変わらず悪趣味だ。

 

あの戦争がなかったら、私は私の血が半分外国人であることに、負い目を感じずに生きられただろうか。広島出身の、高校時代好きだった女に、戦勝国の血が流れていることについて糾弾された日から、ずっと私の中に澱がある。

 

妹の高校は、あの戦争で風船爆弾を作っていたらしい。私の通っていた高校では、軍人に送るキャラメルを作っていたらしい。米国人の妻になったOGが多かったからか、あのあたりの女子校がかなり爆撃の被害を受けたにも関わらず、母校は綺麗に校舎が残った。そういった話を聞くと、太宰治じゃないけど、「神様は、きっと、ある」と思ってしまう。

 

平成という時代はとにかく「艶」がなかった。