放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

当たり前

親からの愛とか、長財布とか、たまごっちとか、恋人と過ごす休日の夜とか、みんながなんの苦労もせずに当たり前に手に入れているものが私にだけ手に入らないことがどうしても許せなかった。当時は世の中の過半数の子供たちよりも自分の方が努力しているという自負があったから、なおさら。

 

大人になって、自分のお金で欲しかったものを買いまくっても、全然幸せになれなかった。子供の時にちゃんとぬいぐるみを買ってもらいたかったし、フリフリを着たかった。

あと、愛はお金では買えなかった。養子縁組とか兄弟の契りとかぐっちゃぐちゃにして家族愛を求めても、結局生みの親に愛されたかったと思ってしまう。

 

しかしながら、私の想定している「当たり前」も相対的なものに過ぎない。高校時代の友人と比べて、恵まれないことを数えても意味ないし。ガーナでカカオ奴隷やってる子供たちよりは幸せだろ!とよく母親に怒鳴られたが、まあ、ほんとにその通りではある。

 

「常識とは18歳までに身につけた偏見である」と、某開成高校卒ホストの人が座右の銘にしていると聞いて、上流階級側の人が格差による偏見の存在を理解してるのって尊いな、と思ったので、私も今まで人間だと思わなかったような人達に優しくなりたい。