不履行
「私の分も頑張ってね!」と最初に言われたのは、中学受験の時だ。
ミホとは同じ中学を目ざしていたが、彼女は成績不振により塾のクラスが落ちて、志望校のランクを落とした。受験が終わり、二人は同じ最寄り駅の違う女子校に進学した。ミホは生徒会長になった。私なんかよりもずっとずっと立派だった。
「私は教師になれないから、放蕩ちゃんは立派な教師になってね」
私より優秀で、私より優しくて、私よりずっと教師になるべき友人にそう言われたのは、大学何年生の頃だっただろうか。
結論として私は教員免許状を四枚持っていながら、教師にはなれなかった。
お膳立てされている教育実習ですら、帯状疱疹を出すくらいストレスに弱く、少し社会人をしただけで双極性障害になってニートをしている。
友人との約束の不履行を未だに申し訳なく思う。こんな私に少しでも期待してくれていた友達が尊くて、苦しい。
母
大学時代、それなりに仲が良いと思っていた人間に「クソチャイナ」と言われた件について、もう数年引き摺っている。
香港は中国ではない(諸説あり)とか、母親はイギリス国籍がある、とかそんな事よりも
自分の所属している集団に、そんな無教養で不躾で差別的な発言をする人間が存在している、ということに耐えられなかったのだと思う。そういった人間の存在が自分自身の価値を貶めるような気がしていた。
集団内に外れ値が存在することなんて、統計学を勉強していなくても感覚的にわかるはずなのにね。
しかしながら、高校生くらいまでの私だったら、差別発言の主ではなく母親に対して怒りが向いていたと思う。
「お前のせいで私が差別されている」というような形で、母親に理不尽な怒りを向けずに、差別主義者に「無教養」と言い返せるようになった私は成長したなと感じる。
その成長に気づかせてもらったという点で、発言主にお礼を言った方がいいのかもしれないと今考えている。(さすがにアスペ仕草か?)
父
「親が医者だから調子に乗ってる」というようなことを、同じ大学の、関わったことのない女に言われて一年近く思い悩んでいた。
どちらかと言うと、私は父が医者なのが嫌だった。正月早々「ヤッター!心臓手術だ!○○万🎶」と騒ぐ父を見て、人の不幸の上に成り立っている商売な気がしていた。父へのアンチテーゼで、自殺しようとしている人を救いたいから牧師になりかったし、牧師が欺瞞だと気がついてからは教師になって子供の自殺を止めたいと思っていた。(自分自身死にたかったくせにね)(人を助けることによって自分を救いたかったんだと思う)
でも夢やぶれてみて、やっぱり人の命を救えるのって医療従事者だけなのかもなと思った。
そして、今はそんなでもないけど、かつてチベットやインドの無医村に出向いたり、世界中の人のために働けるように英語のスピーキングが苦手なのに国際免許を取ろうとした父は、めちゃくちゃかっこよかったと思う。父親を誇りに思うことが「調子に乗ってる」のならそれでもいいや、というのが一年近くの苦悩の末に出た結論である。
兎
あれから何人かの男の人と付き合ってみたりして、所謂普通の女の子が言う「幸せ」な状況を何度も味わったのに、幸福でないのは、貴女が残した棘が心から消えないからだと思う。
彼女といた時間より尊い時間が、2015年3月から更新されずにいる。上書きできるような楽しいことがない、というわけではないはずなのに。
バリバリ広島人の父親なのに父親がアメリカ国籍があるからアメリカハーフだ、と言ったり、父親が医師と弁護士のダブルライセンスで、医師の方はペーパーだから専攻がない、と言っていたのも、私と話を合わせるためについてくれた嘘なのかと思うと、私の代わりに十字架を背負ってくれたように感じて、なんだか尊く感じてしまう。
虚言癖の女は沢山見てきたけれど、皆くだらない経歴詐称みたいな嘘しかつかなくて、彼女のように美しくて面白い嘘で私をワクワクさせてくれる女は一人としていなかった。
もしもまた出会えるなら、また面白い話を聞かせて、私の瞳に光を与えてほしい。
それができないとわかっているから、あの西条の夜に、蜘蛛の巣に引っかかってしまった蝶の如く、君の吐く美しい嘘に絡め取られたまま、身動き取れずに衰弱して死んでしまいたかった。
貴女に貰った兎の文鎮は、開封できないまま実家の本棚に飾ってある。貴女が貸してくれた本を、今の恋人が読んでいるのを見て、遅効性の毒を感じた。
十字架
遠縁に、桜蔭高校から国立音大に行って発狂した女性がいた。父親の再従姉妹だ。
私はその女性と同じ、目の下に笑窪があったから、祖母に心配されていた。ピアノも早いうちにやめさせられ、油画も禁じられた。
身を立てられるほどでないのに中途半端に芸術に傾倒したせいで発狂した人間が周りにいるせいか、両親の芸術アレルギーは凄かったし、それへの反発で私は中原中也の「芸術を遊びごとだと思っているその心こそあわれなりけり」という短歌を引用してブチ切れたりしていた。
妹が発狂した。
妹は私の身代わりになってくれたのだ。
それは「運命はわたしが持って行くから!」といって、菊花賞でするはずたった足の怪我を持っていったアヤベさんの妹と重なってしまう。
私はこれから先、一生、妹への罪悪感を感じて生きてゆくわけだ。
でもそれなら私が妹の不幸を全部背負って死んでしまいたかった。