放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

大学時代、それなりに仲が良いと思っていた人間に「クソチャイナ」と言われた件について、もう数年引き摺っている。

 

香港は中国ではない(諸説あり)とか、母親はイギリス国籍がある、とかそんな事よりも

 

自分の所属している集団に、そんな無教養で不躾で差別的な発言をする人間が存在している、ということに耐えられなかったのだと思う。そういった人間の存在が自分自身の価値を貶めるような気がしていた。

集団内に外れ値が存在することなんて、統計学を勉強していなくても感覚的にわかるはずなのにね。

 

しかしながら、高校生くらいまでの私だったら、差別発言の主ではなく母親に対して怒りが向いていたと思う。

「お前のせいで私が差別されている」というような形で、母親に理不尽な怒りを向けずに、差別主義者に「無教養」と言い返せるようになった私は成長したなと感じる。

その成長に気づかせてもらったという点で、発言主にお礼を言った方がいいのかもしれないと今考えている。(さすがにアスペ仕草か?)