遠縁に、桜蔭高校から国立音大に行って発狂した女性がいた。父親の再従姉妹だ。
私はその女性と同じ、目の下に笑窪があったから、祖母に心配されていた。ピアノも早いうちにやめさせられ、油画も禁じられた。
身を立てられるほどでないのに中途半端に芸術に傾倒したせいで発狂した人間が周りにいるせいか、両親の芸術アレルギーは凄かったし、それへの反発で私は中原中也の「芸術を遊びごとだと思っているその心こそあわれなりけり」という短歌を引用してブチ切れたりしていた。
妹が発狂した。
妹は私の身代わりになってくれたのだ。
それは「運命はわたしが持って行くから!」といって、菊花賞でするはずたった足の怪我を持っていったアヤベさんの妹と重なってしまう。
私はこれから先、一生、妹への罪悪感を感じて生きてゆくわけだ。
でもそれなら私が妹の不幸を全部背負って死んでしまいたかった。