放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

人間は万物の尺度である

中学・高校生の時分に、強姦・近親相姦以外の理由で粘膜接触に至ったことのある人間は全員気持ち悪い、と思っていた。学生という身分で親から生活を保証されている中、勉強せずに乳繰り合っている人間がいることが耐えられなかった。

 

でもそんなのは私の尺度であって、私もクリスチャンの友人たちからすると「婚前交渉していて気持ち悪い」「祖父や妹と関係を持っているの気持ち悪い」ってことだろうし、シスターたちからしたら「貞潔じゃないのはしたない」んだろう。

 

兄に「Fラン出身の人間とちゃすちゃんが関わるのが耐えられない。東大早慶、あるいは高校が御三家の人間くらいまでとしか関わらないでほしい」と言われて昔の自分を見ているようで嫌になった。

昔、当時の恋人に「浮気するなら桜蔭卒か医学部の女じゃないと許さないから」と言った自分のキショさに、数年越しに気付くなど……。

 

最近、昔の自分のイデオロギーみたいなんが気持ち悪いものだったんだな、ということに気がついた。上位層から落ちて落ちて社会の底辺で暮らしている今、かえって目が開かれたような気さえする。

 

私が底辺になることで、誰かが救われてほしい。せめて私の辛さが、誰の罪の贖いになっていることを願う。