放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

昔話

エジンバラでハムトーストを食べていたら、祖母のことを思い出した。それは祖母が昔作ってくれたサンドイッチにそっくりで、懐かしくさみしい気持ちになった。

 

小さい頃、体の弱い妹に両親が付きっきりで、祖母に育ててもらった。母親が外国人かつ気分でネグレクトする人だったから、平仮名もロクに書けない小学生だった私に祖母が手習いをしてくれた。喘息で床に伏せているときも暇にならないよう、本を沢山買ってくれたし、祖母自らルーズリーフに短歌や和歌、和語、暦など、私に学んで欲しい内容を書き記して渡してくれたのが嬉しかった。そのおかげか、口語文法は学年最下位くらいの出来だったのに、古典の成績はとてもよかった。

 

母は私が15になるくらいまで、よくワーッ!てなると全てを放棄して香港やイギリスに長期で飛ぶ人だった。(私が15になる頃には監視が趣味の人になっていたので、謎である)

 

母親が全てを放棄している間は、父親への家事を妹と二人で回していた。そんな時に祖母に電話で泣きごとを言うと、夜中でも多摩の山奥から駆けつけて世話をしてくれた。

 

中学生の頃、右翼のヘタリアオタクの女に、「穢れた血が…」と言われたと祖母に言って泣いた時、「私も国際結婚は反対だったのよ…」と言ってくれたのが救いだった。

 

祖母はもう呆けてしまって、まともに会話が出来なくなってしまった。エーデルワイスをドイツ語で教えてくれた祖母はもう居ないのが、どうにも悲しくて、私は祖母の前から逃げ出してしまった。