放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

アガペーの話

「忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな(右近)」

「忘れじの 行く末までは 難ければ けふをかぎりの 命ともがな(儀同三司母)」 

 どちらの歌も心変わりした/してしまいそうな男を責める歌である。

 人間の愛の多くはエロースであり、永遠性を持たない恣意的なものである。そのような、気持ちが変われば冷めてしまうような感情に「愛」と名前を付けて他者を縛ったり縛られたりしているように思う。そのような隷属的関係に甘んずる前に「本当の愛」とは何か考えてみてはどうだろうか。 

  キルケゴールレギーネを愛していたからこそレギーネと別れることを選択した。彼は自分が長生きすることはないとも本気で信じていて、長生きできないことでレギーネに迷惑をかけてはいけないと考えていたからだ。他者を本当に愛した時、人は自分の感情に身を任せるのではなく他者の幸福を第一に考えるのだ。

 しかしながら人間は動物であり、恋い慕う人間を前にした時には相手を騙してでも手に入れようとする生存戦略がプログラミングされているかのような行動をとってしまう。

 「本当の愛」はそういった自分本意の感情の押し付けより段階の高いところにあるのではないかと思う。神の愛、アガペーは憎悪に反転する愛であるエロースとは一線を画している。 

 でも、だからこそ私はアガペーしたい、と思う。「アガペーするために神になりたい」と繰り返していたら「あなた!それはグノーシス主義ですよ!」と叱られてしまったが。

 

 

 昨日は早朝から9時間アルバイトして勉強会に行ってお酒を飲んで 解散後に友達と飲屋街を散歩しながらまたお酒を飲んでいたら、帰宅した途端疲れ切って眠ってしまいブログ毎日更新の夢は断たれたのでした。(お酒を前に人は無力なのであった)(放蕩じゃん)