放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

神様の舞台裏

 神様の舞台裏なんか見るものではありません。ミステリアスであるが故に神聖さは生まれるからです。

 イエスガリラヤでは人々の尊敬を受けたけれどナザレ(イエスにとっての地元ですね)では「ヨセフの子供じゃん…」と受け入れられなかったという聖書箇所があります。(ルカ4:14-22)人は馴染んだ存在と近しさを感じるとその相手を尊敬できない生き物なのかもしれません。だからスキャンダルを起こしたアイドルはもう推されないし、逆にアイドルとして日常生活を隠し続けられた渡辺麻友道重さゆみは「神」となったのです。

 私は神のように尊敬していた相手がちんぽ依存症のどうしようもない女であると知った時、彼女も人間なんだとすごくがっかりしてしまいました。神様は病んだ時ずっと天岩戸に隠れていて欲しい。承認欲求を剥き出しにしないでほしい。

何をしていてもいいからそれをわからないようにしていて欲しい。神様のくせに自分のダメなところ開示してそこまで赦して貰おうなんて甘いんですよ。(これは強力な自戒を込めています。) 

 隙あらば自分語りしてしまうオタクなんですけど治していかないと神様にはなれないですね。いや僕は神様になれなかったんですけどね。神様が僕を、君を救ってくれなかったから神様になって自分と君を救いたかったんだけどね。僕には出来なかったよごめんね。来世は2人で中指立てて畜生腹で生まれてこようね。