放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

マロテスク

福田花…さんの詩が好きだったので、彼女がアイドルに戻って詩人をやめてしまったことが少しだけ淋しい。

 

スマイレージでは歌も見た目もゆうかりんが推しだった。それでも自分のことを「まろ」と言ってブログで暴走している彼女はいいな、と思った。

愚痴垢やファンにさえまろ(笑)というような扱いをされていて、女子のアンチが多い彼女が、なんとなく自分と重なったからかもしれない。あと元彼2人から「まろと顔が似ている」と言われたのも、彼女にシンパシーを感じる理由の一つだ。

 

「わたし」という歌の詩が本当に好き。

「たとえわたしに何の肩書きも才能さえもないとしても、私の事見つけだして好きになると言えるかな?」

悲しいけど、今のわたしのもっている才能とか良い点がなかったとしても、私のことを見つけて好きになってくれる人がいるなんてことは絶対ない。でも、それでも探し出して好きになるよ、って言ってほしいんだよね。Angel Beats!の日向みたいに、また六十億分の1の確率で出会えたら…って言ってくれるだけで、行動が伴ってなくても嬉しいから…。

「今のわたしが違うわたしでも、好きになってくれたかな?中身の部分の魅力にちょっとでも気付いてくれてるかな?」

自分としては、自分の内面とか魂の方が評価して欲しいポイントなんだけども、好きな人からは結局外面しか見られてないのが、悲しいよね……。

 

巫まろとして人気メンになっても、福田花…だった頃のの苦しみは消えないのではないかと、えりなちゃんとしてランカーになっても女子校喪女の私が救われなかった体験から、老婆心ながら心配してしまうけど……。