放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

あの日私は大人になった

君と話していてむ、となることが多いのは昔の自分と重なるところが多いからなのかな、と思った。

そして昔の自分は、自分の意思ではなく大人の自分に変えられてしまったから、いつまでも大人になれない人に対して憧憬や羨ましさの裏返しとして苛立ちを感じるのかもしれない。

 

高校生のとき、中嶋と「恋をしてしまったら感性が変わってしまうかもしれないから、恋をする前にたくさん小説や詩を読みたいね」なんて話して、1日1冊はいわゆる文豪の全集を読んでいた。

実際、恋をしてしまったせいで死んでしまった感性がたくさんあって、私は悲しい。

「男」という存在に出会う前の自分の方が、私は好きだった。髪もとかさず、制服とパジャマだけを着て、本を読んで絵を描いて勉強をして椅子の上での気絶以外眠っていなかった頃の、全力で生きていた頃の自分が好きだった。辛いことがあっても、黙って手首足首太ももに刃物を入れて、ゲロ吐いて立ち直ってた頃の激強メンタルの自分がよかった。誰かに泣きついて宥められて生きている今の自分は、昔の自分が軽蔑していた女像そのものでしかない。

 

本に(本じゃなくて漫画だけど)耽溺している君に「異常な過集中発達障害みたいで怖い」と言ってしまったが、むかし私自身も本に耽溺して当時の恋人にぶちギレられたのと重なってゾッとした。

私自身が、本に耽溺している人を叱責する側にまわってしまったこと、大人になってしまったことが、悲しくて嫌だった。

「大人」になんかなりたくなかった。いつまでも生娘のまま、ヘタな絵を描いて、内輪に見せるためだけの小説を書いていたかった。