放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

契約

約束の締結と、それを正しく履行してもらうことの繰り返しが快感だった。

私は本来、他者を束縛したりするのは好きではない。日頃は他者を信頼して、それぞれの生活をもちながら、「約束の日」を待つのが好きなのだ。それが「クリスチャンであるせい」なのかどうかはわからないけれど。

約束を守らない人間と関わったことがなかった。教会の外には色々な人がいることを、温室育ちの私は知らなかった。今まで自分が「他者のために」をモットーに生きてきて、周りの人間もそうであったから、「自分のために」生きている人に利用されて傷つくことがあるなんて、予想することもできなかった。

約束を守らない人間のことも、信じたい。信じて敗北したとしても、それは敗北ではない、なんて太宰治みたいには思えないけど……。

 

約束を蔑ろにする人を縛りつけるために、結婚という制度があるのだろうか。契約ありきの関係に愛はあるのかしら。私は愛があったら、約束はきちんと履行するから契約なんていらないと思うんだけど。こういうところが世間知らずなのかな。

肉塊

結局のところ君が好きなのは私の「ガワ」にすぎない。

それは単なる女体であって、私という人間ではない。私の人格を全く愛していないから、私が言ったこと全てに言い返してくるんだと思う。

喋ることを制限された私は肉の塊でしかない。

 

肉欲の対象にすることを「恋」というのをやめてほしい。恋愛とは、もう少し互いに純粋贈与し合える関係であると思っていたかった。そんな醜い感情を本当に「恋」だと思っているなら、詩人なんてやめてしまえ。

まだ少なくとも、君が、自己欺瞞に苦しんで死にたくなるだけの情緒を持ち合わせた人間であることを願う。

位相

「今の私が違うわたしでも好きになってくれたかな 中身の部分の魅力にちょっとでも気付いてくれてるかな?」

 

今の私があるのは、あらゆる因果によるものだ。

例えば、顔が可愛かったら絵なんか書かずにずっと自撮りして中高時代を終えたかもしれないし、共学に入っていたら一生乳くりあっていて、勉強せず教養のない大人になっていたかもしれない。

 

だから、違う位相の私まで愛してもらおうとすると、キリがないから、無理だって分かってる。

でも、それでも、今の私が違う私でも好きになって欲しかったな。

 

私が失明したら介護するとか、事故にあったら車椅子を押すとか言ってくれたのは、私がかわいいからではなくて君が優しいからだと思っていたかった。

 

私から何を取り除いたら私じゃなくなるのか、想像したら怖くなってきた。肩書きも特技も何も無くなって、可愛くもなくなった私を、好きになってくれる人っているのかな……。

何以

君が「某後輩って可愛いんですか?」と聞いてきたので、彼女の写真を見せたら、「えりなさんがこの顔だったら、好きにならなかったかも」と言われてしまい、ヒェッってなった。

 

「見た目を好きにならないと中身を知ろうとは思わない」ってHey! Say! JUMPの山田くんも言ってたけど、そんなもんなのかぁと落胆してしまう。

 

自分のことを可愛いと思ったことはない。

いつも顔の良い妹と比べられて、両親にもピアノの先生にも塾の先生にも「妹さん“は”美人なのにね…」と言われ続けてきたので、その分他のところで努力しないといけないんだと重荷に感じながら生きてきた。

醜い顔は私にとって十字架だった。

 

それなのに?

顔で食ってるような仕事をしていて、それなりに人気もあって、モヤモヤする。

私が今まで、ブスだって言われてきたのってなんだったの?って思うくらい、客に可愛いと言われて気が狂いそうだ。

 

ブスだから内面を好きになってくれる人が好きだった。外面が醜いから魂は美しくありたかった。

年齢で目減りしない美しさがあると認めてほしかった。

 

「面白いから好き」っていうのは、それは恋じゃないからナシじゃん、って思うけど……。

「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」

ジャン・コクトーの一行詩の堀口大學訳であるこの一節が、私はとっても好きだ。

 

兄から誕生日祝いに真珠のピアスをもらった。真珠そのものも好きなので嬉しかったが、何より私が海を好きな事を憶えていてくれたことが嬉しかった。

 

海が好き。東洋の真珠と呼ばれる島で生まれたから、私は人魚姫なのかもしれない。泳ぐのが得意だし、揺れる水面を見ていると落ち着く。

 

高校時代、相原の英語の授業に意味を見いだせず、授業をサボって港の見える丘公園に何度も行って、ただ海を眺めていた。

「みなとみらい」という地名だけでなんだかワクワクしたし、海浜公園で出雲行きの船を見送りながら、初めて男の人に告白した。

マリンタワーから見える母校が好きだった。

前働いていた会社の窓からは、海が見えて、それだけが救いだった。

 

海が好きだったから、横浜が好きだった。

 

中野には海がないから、苦しいのかもしれない。

just be friends

「巡り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」

 

示し合わせたわけでなく、二人が西と東で夜を明かした日の未明に、「眠れないね」とやり取りをしている時に私が送った歌が、上記の紫式部の和歌だった。送った後に、この歌は友情の和歌だ、と気が付き、恋の終わりを感じた。

 

人間の細胞が全て入れ替わるのに丁度6年かかるらしい。だから、君が好きだった私を構成していた物質は全てもうこの世にないし、私が好きだった君も同様であり、それが少し悲しかった。

 

いつかまた会えるかもしれないと思って、街の中で君を探し続けるのと、最後に会えたけどもう二度と会えないことを突きつけられるのと、どっちが幸福なのだろうか。

 

「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」

「天彦よ 雲のまがきに 言伝む 恋の蛍は 燃え果てぬべし」

「あなたは、山崎富栄になりたいんですか?」

「一緒に死んでくれない人って結局私の事好きでないのかな?と思うので……」

「ではいつか一緒に死にましょう」

 

その「いつか」が来ないことを知っても、自分の人生を生きていきます。

 

あの時、あなたの「別れて来い、君は僕が好きだ」という言葉を信じて、「死ぬ気で恋愛」できて、幸せでした。

 

せめて今日だけは消えないで

しばらく何も書けなくなるくらい、実際に会った君は衝撃的だった。それ関連の感情の機微については一生書けてしまうので、この記事では書かないでおく。

 

PIKA★★NCHIDOUBLEを聞いていて、「終わったはずの夢がまだ僕らの背中に迫る」という歌詞が刺さりすぎて苦しかった。

捨ててきた、いや、諦めてきてしまった夢が沢山あって、その夢とその夢を追いかけていた時の自分に対して恥じるような人生を送っている。

終わったはずの夢の1つをまた追いかけたくて、お金払って親を黙らせて(ここまでは終了)、進学のためにお金作ろうと今の仕事をしてるんじゃないの?鬱で動けない日が多すぎて忘れそうになってしまうけど、太宰について宗教で曇ってない目で見てまた論文書きたくて、私立で働きたいから専修免許が欲しいんじゃなかったの?

そりゃ絵が描きたかったとか、自分の文章がバズると嬉しいとか、短歌も続けたいとか色々あるけど、そっちの夢は捨ててしまっても、大きな芯みたいな夢というか理念は捨てちゃダメでしょ。

 

「ひび割れたプライドを大事にしまい込んで 大げさに話してた心の隙間埋めていた」

私じゃん……。たかだか1回の挫折で「これもう友達に顔向けできないからずっと道化するしかないな」と判断することなんてなかったね。

 

日々のタスクに追われて、それに追われて忙しいことをいいことに思考停止して、「今の自分はとりあえず目の前のことをこなしている」という謎の安心感を感じて生きていたけど、そんなんじゃダメだね。

中嶋に「10年後にどうなっていたいの?」と問われた時に気がつけば良かった。「愚者は明日を語るけど賢者は未来を語る」「だから明日何を着るか、何を食べるかで思い悩むな」って散々聖書で読んだのに忘れてた。

 

少なくとも、昔の恋人に心配されるような仕事をしたり、私の価値を下げるような人と関わったりすることにリソースを割いてはいけないね。み…くんに「笑って生きていてよ、そっちの方がかわいいんだから」と言われたのに、最近泣いてばっかりだった。笑って生きていけるような仕事を探さないとね。

 

「なんでもできる!なんでもなれる!輝く未来を抱きしめて!」

 この言葉、忘れないようにする。