放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

幸せだった頃

クリバンキャットのオーバーサイズのTシャツをワンピースのように着た、まるまると太った父と一緒に柿の種を食べながら、「チキチキマシン猛レース」や「バビル二世」、「昭和ムーミン」を見ていた頃は

祖父からお金の工面の電話が鳴り続いても、借金取りがクリスマスに浜松市からわざわざ凸りに来ても、母のネグレクトが酷くて戦後なのに頭にシラミが湧いても、祖母の家に預けられても、小学校で休み時間に本を読んでいたという理由で消しゴムを投げられることがあっても

幸福であったな、と思う。

 

舌を噛んで痩せてから、私にも吐くことを強要するようになった父は、別人みたいだ。

 

あの時の優しかった父を、未だに探している。

ゆんちゃん

幼稚園の頃、幼稚園のカリキュラムに手習いがあるわけでもないのに、みんなは当たり前のように平仮名を書けていた。私だけ平仮名が書けなかった。母親も平仮名を書けなかったから、家でそれを教わることが出来なかった。

 

ゆんちゃんという女の子がいた。いつもニコニコしていて、白くて顔の綺麗な、優しい女の子だった。取り巻きがいるような、マドンナ的存在だった。アトピーで肌が汚く、幼い頃から弱視で分厚い眼鏡をかけていて皆に汚がられていた私にも優しくしてくれたのを覚えている。

 

「ゆんちゃんすきです」と見様見真似で手紙を書こうとして、「ゆ」の字がどうしても書けなかった。好きな子の名前すら書けない自分を、幼稚園児ながら恥ずかしく思ったのが、狂ったように図書館で本を読み、勉強をしていた小学生低学年の頃の私を作った。

 

小学五年生の頃、中学受験の塾でゆんちゃんに再開した時、私よりかなり下のクラスだったゆんちゃんに、勝手に失望してしまってそこから連絡を取らなくなってしまった。

 

先日、ゆんちゃんそっくりな美人の女性を見る機会があり、そんなゆんちゃんのことと、ゆんちゃんのおかげで平仮名や漢字を勉強するようになったことを思い出していた。

恋心ほどの動機づけはない。

百年戦争

両親は留学先のイギリスで恋に落ち、夫婦となった。母はイギリス領で生まれ育ち、名誉イギリス市民として生きた。朝食にはスコーンが出され、バーバリー上着が供され、クリスマスにはミートローフを食べていた。母校はアメリカ改革派教会がたてた学校であったので、アメリカ人の英語教師が多く、母校式の英語の発音についていつも母親にグチグチと言われていた。

 

私はどちらかというと、フランスの方が心惹かれていたから、両親と感覚が合わなかったのかもしれない。

小学生の頃、スタンダール赤と黒』を読んで、神学校に興味を持ったし、大好きな太宰治は仏文科卒だし、大学時代は遠藤周作マルグリット・デュラスサガンにハマっていた。ハリーポッターは読んだことがないくせして、サルトルパスカルは読み込んでいた。

 

一方、祖父母はアメリカ派の人だ。祖父の勤務先はアメリカの大学であったし、祖母はそれについて行ったせいで耄碌した今もオレゴンさくらんぼの話やCLINIQUEの話をする。

祖父が出版した本では、アメリカ文化を礼賛するような言葉が沢山あった。戦後まもなく、八丈島から出てすぐにアメリカを見たらそうなるだろうな。

 

私の膝元はどこだろう。先日、妹から「我々の居場所は日本には無い」と電話がかかってきた。では、私はどこに立って生きていけばいいんだろうか。

明確に自分のバックグラウンドとなる「地元」や「田舎」を持つ宮崎が、私には輝いて見える。

あっくん

蝉の声を聞く頃になると思い出すのは楡周平の『蝉しぐれ』とそれを読んでいた敦くんのことだ。

敦くんは小学四年生の時のクラスメイトで、本と歴史が好きで歴史少年と呼ばれていた。その頃、司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『人斬り以蔵』を読んでいた私は彼と意気投合して、よく話をしていた。

 

彼はサピオセクシャルの気があった。順位表に乗っている私の名前を見て私のことを気に入っていたらしい。

 

敦くんの第1志望校は私の第1志望校の隣駅にある男子校だった。彼がもし中学受験に失敗していなければ、電車の中で会ったり、そこで歴史の話ができたりしたのかな、と考えると淋しくなる。

 

彼に失望される前に、離れられてよかったと今では思う。私は早熟なだけで、頭が良くはなかったから、彼の期待に答え続けることはできなかったはずだ。

 

でも、彼と一緒に図書館で本を読んでいた穏やかな時間は、少女時代の大切な思い出の一つとして心の箱庭にしまってある。

雑感

七瀬さんの小説の、主人公が死に際の母親に散々なことをしたのが露見して親族に勘当されるシーンで、父親に「最後になにか言いたいことはあるか?」と問われた主人公が「受験だけはさせてください」って答えたの、すごく「わかる」

 

怪文書

平野は僕のミューズだった。

締りの良い膣を連想させるキュッとした足首も、肌が弱くて汗をかかないように遅めの時間に日傘をさしながらゆっくり歩いて登校してくる姿も、文字映えして好きだった。

何よりも、平野が、彼女の両親の長年の不妊治療の末に生まれた存在であることが、尊くて羨ましくて素敵に感じた。僕は、ほぼほぼデキ婚みたいな形で生まれてしまって、そのせいで母親は博士課程を中退して、事ある毎に「お前のせいでアカデミックのハシゴを外された」と恨み言を聞いていたので、平野のように「望まれて生まれた子」とは違った、価値のない存在なのだと感じていた。

平野と僕は同じ皮膚の病だった。平野は平野の両親の計らいで、毎朝保健室で保冷剤を貰って、肌が痒くならないよう手当をしていたが、僕は親が藪医者であるせいで「痒みで死んだ人間はいないんだ」と父親に恫喝されて、痒みを訴えるこちらが悪いのかと思うくらい追い詰められていて、病院に行くこともなかった。

 

.........

 

 

みたいなクソみたいな小説というか怪文書を高校時代に書いていたんですが、そんな頃に七瀬さんはちゃんと毒親をコンテンツに昇華して小説にしててすごいなぁと思いました。(作文)

尚、この怪文書の完全版みたいなのを読んだ中嶋の母親に「さぎちゃんこんな小説書いてるからもっとブスだと思ってたけど、美人じゃない〜」と気に入られ一緒に歌舞伎を見に連れていってもらったりしたのはいい思い出です。(は?)

考察

「彼女は頭が悪いから、同じ人間だと思えなかった」

だから彼らは女子大の女に暴行してもいいと思ったんだろうし、モノのように扱うことが当然だと考えていたんだと思う。

 

人生においてほんの一時期だけだけれど、エリートの端くれにいたので、そういった人達が自分より頭が悪い人間を、同じ生物だと認識できない気持ちは、少しだけわかってしまう。

君たちだって綺麗事を言っているけれど、アフリカの人たちに対して「農業技術を教えても種を食べてしまうような頭の人たちだから発展できないんだよ」とか、少なからず思ったことがあるでしょ。

 

「頭が悪い人間」が頭が悪いのは努力不足だからだし、努力すらできないのは人権の放棄だと思ってた。

「頭が悪い人間」から「あなたは地頭がいいから…」と言われるとぶっ殺したくなった。小学生にして寝すぎないように毎晩床で寝てた努力を地頭(笑)とかいう言葉で片付けられるのが気に食わなかった。そうやって地頭のせいにして努力不足を正当化してるゴミ共を私も人間だとは思えなかった。私より地頭がいい人なんて数え切れない程いるんだから、凡人は時間をかけないといけないんだと掌に針を指して起きて勉強したり絵を描いたりしていた。

 

君たちはそういうことちゃんとした上で「自分には才能がないから仕方ない」とか言ってんの?

 

そういう「努力を放棄する姿勢」が家畜じみていて人間だと思えなかったから、翼くんは美咲ちゃんのことも気持ち悪いなって思うようになったんだと思う。美咲ちゃんがGカップで膣が付いていても、価値がない存在だと判断したのでしょう。

 

巣鴨の飲み会で美咲ちゃんはなんで泣いたのだろう」って、最後まで翼くんは理解できなかったのが悲しいね…。

 

いや、別に『彼女は頭が悪いから』の感想が書きたかったわけじゃないんだよな。続く。