放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

死考

「私のこと好きになってくれないなら死にます 私のこと嫌いになったなら死にますから」と教師に詰め寄ってる女子高生を見て「私じゃん」と笑った。

 

でも先生はその言葉を重く受け止めてさ、死なないようにするためにはどうしたらいいかとか真剣に考えて児童養護施設とかカウンセリングセンターとか精神病院を紹介するんだよね。そういうことするから生徒に「先生は私の何にもわかっちゃない」って泣かれるんだよ。一度抱いてやれば大人しくなるよその生徒は。知らんけど。

 

死にたい、って考えないように日々予定を詰めまくり、●●するまでは生きていよう!つって無理やり生きてるから私は生徒に「生きろ!」とは言えないんだよな。高2の時に礼拝で「太宰治の『葉』を読んで、主人公にとっての着物みたいな存在になりたいなと思いました。死にたい男の人にとって、放蕩娘ちゃんと●●●するまで生きようって思ってもらえる人になりたいです。」と言ったようなクソ倫理観で生きている。

 

病気で死んだ人に対して申し訳なくないのか?なんて響くわけがないんだよな。死にたい子供は病気で死んだ人を羨ましいとさえ思ってるんじゃないか。少なくとも私は病気になりたくてピルと煙草を服用して乳癌になって喜び良性腫瘍とわかって泣いたので。

 

死にたいなら死ねばいいと思うんだよな。メンヘラ神とか寝子とか、死んだからこそインターネットで生き続けている人を見ると、死にたいのに生きてる自分が情けなくなっちゃうもんな。

 

私は死なないためにヒモを飼いたいなと思いました。ヒモ採用面接解禁です。