放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

聖を鬻ぐ女

「檀くん。二三人の男と通じた女は、これや、ひどい。穢ないもんだ。だけど千人と通じた女は、こりゃ、君、処女よりも純潔なもんだ」
 

これは二三度、太宰が私に言った言葉である。私は其のたびに肯いた。千人と通じる方は私にもよくわかったが、二三人と通じる方は、太宰の想像か? 想像にしては語感が哀切だ。太宰の生活の中にある事実を洩らす苦しみであろうと、そう思った。
                   

                                       檀一雄『小説 太宰治』より

 

キリスト教では婚前交渉は許されていません。

避妊も許されていません。

私は、あの日、公園で知的障害者の男性に押し倒されて、処女を喪失しました。

神様とやらは、強姦にあった私のことも、穢れていると判断するのでしょうか。

私は太宰治が好きです。夢に見るほど好きです。人生を打ち捨てるほど好きです。太宰治の女になるために、タバコ屋で働き、カフェで働き、出版社への入社を目指しました。

 

それでも、あの重過失のせいで、私は太宰治に愛される資格を喪失しました。

自分が許せなくなりました、どうして、あの日、あの時、公園をまわって帰宅してしまったのか。悔やんでも悔やみきれません。

 

私は、出版社に入れなかった時に、性を売る道へ進むべきでした。いいえ、神に認められなかった私の聖性を、世の人のために鬻ぐ仕事をすればいいのです。私は聖を鬻ぐ女となります。世の人の罪を、弱さを抱きしめて、千人でも万人でも受け入れて贖いたい。そう願っています。