放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

人間の本質は何処にあるのか考えたことはあるだろうか。

私は人間の本質は魂にあると思う。大学1年生の頃、人間の本質は魂にあるので魂を美しくしたいですと泣きながら倫理神学の教授に詰め寄り意思表示として化粧をせずソフィア・ジャージにジーパン、穴の空いたスニーカーという出で立ちで登校していた。そんなようであったので、当時の恋人に「なんで普通の女の子ができるようなことが出来ないの?お化粧をして、オフィスカジュアルみたいな服着てヒール履いてかわいくしろよ」と説教されたりなどした。被虐待児なので説教されると「そうだよねごめんね直すね」となり、当時の恋人に言われるがまま髪を切り化粧をし服を買うために深夜ドブさらいをした。もう4年も前の話だ。その次の恋人には鷺沢文香の格好をしろと言われオフショルダーのトップスに赤いストールをまかされていた。器を整えるのは怖かったが、人に言われるがままにしているのは責任逃れができるのでそのような形で器を飾ることには抵抗がなかった。お陰でそこまで人権を失わずに「大学生」できていた。元彼たちには感謝である。

 

器に自信がなかったのだと思う。高潔な魂は高潔な肉体に宿るという言説を否定したくて、器には関心払っていないつもりになりたかった。それと同時に器を着飾る事に力を入れるのは魂の研鑽から逃げているように感じた。アンビバレントな思いがあった。器が生まれつき美しくある人が羨ましかった。器が悪いと、器を整える作業をすることさえも滑稽になってしまうようで恥ずかしかった。親も私の器量が悪いため、美しい衣装を着せるのを嫌がった。

 

 

人生で1度、器を着飾ってみたくて、幼い時から着てみたかったけれど着ることの出来なかったフリフリした、人形のような顔をした女の子のためにある服を買おうと新宿Amavelへ向かった。かわいくないから、お店に来るのが恥ずかしかった、と伝えると、店員さんは「え〜お客様かわいいじゃないですか」と言ってくれた。この時店員さんがかわいいと言ってくれたのは私の外見ではないだろう。器を飾ることをするために勇気を出した魂がかわいいと言ってくれたように感じた。器を飾ることをゆるされたような気がした。

 

その時に買った服を着て、 昔の恋人に会いに行った。私にOLになることを求め、髪を伸ばすと「他の男がロングが好きなのか?」と怒鳴って髪を毟った昔の恋人である。伸ばした髪をツインテールにしてAmavelを着て真っ赤な化粧をした私は彼の好きな清楚なOL(ボブ)とはかけ離れている。きっと怒るかしら?と思って渋谷へ向かうと「ヤバいかわいい」と思いがけない言葉をかけられた。清楚でもOLっぽくも女子アナっぽくもないのに、かわいいと思ってくれたのはなんだかんだで彼が私の魂を私であると思ってくれていたからなんだろうな、とふと思い、侮れないな〜と北の地へ帰って行った彼のことを考えている。