放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

正直、自分ってつまらない人間だと思うんです 胸の大きさと膣の締まりと顔(諸説ある)しか取り柄のない、つまらない人間 「若さ」という目減りしてゆく価値しかないしか持ち合わせない人間

 

なので自分の取り柄以外のところに相手の気持ちが向けられると、当惑してしまいます

 

いやむしろ、空洞だからこそ相手は私に投影しやすいのでしょうか 自分の好きな「○○ちゃん」像を

 

愛されていると実感しないと埋まらないのです 丁度男性器を受け入れるためにぽっかりと空いている肉体の欠損が満たされないと なんだか立っていられないのです この穴から流れ落ちてゆく真っ赤な涙は 貴方からの愛そのものも併せて拒絶してしまっているようで不安なのです だから常に穴を埋められていたいのです

 

心の幸福をしまっておく升に穴が空いている、とは獪岳を表した言葉ですが、私が空白なのは私が満たされていないからなのかな、とふと……

 

          この水を飲む者は誰でも、また渇くであろう。しかし、私が与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう

(ヨハネによる福音書 4:14)

 

渇かない水ってどこに行けば貰えるんですかね 教会に15年(+半年)通っても私にはわかりませんでした 放蕩娘だもんで……

 

やはり私は自らの「穴」に囚われて生きていくしかないようです