放蕩娘日記

人生が辛い倫理オタクのブログ

雑感兼箴言

また宣教師外交をしてしまった。反省している。私に宣教師外交をさせないでほしい。様々なリテラシーを高くしてほしい。自ら様々学んで欲しい。ただそれだけなのに。

 

知識も学歴も無い人の文書は、棒人間しか書けない人の漫画と同じだと思う。それを作品だと言い張るのは本人の自由ですが。

 

子供にお金を出さないとか、人格否定の言葉を吐き続ける親より、子供に「なぜ選挙に行くのか」を説けない親の方がよっぽど毒親だと思う。頭が悪い親のもとに生まれる子供は不幸だ。

 

その場で相手を傷つけて言い負かすことを「勝ち」としている人間は、「言ってはいけない言葉」を軽々と言うから言葉に誠実ではない。言葉に誠実になれない人間の文章に読む価値はない。

 

若いうちからあらゆる娯楽よりも眠っていることを楽しいとする人は、老いが来て体が動かなくなってから歯軋りして後悔すれば良いと思う。その日、その時をただ神のみぞ知る。

 

「良い人は良い心の蔵から良い言葉を取り出す」。では、心の蔵が空っぽな人間は?心の蔵が空っぽな人間と悪い心の蔵から悪い言葉を取り出す人とでは、どちらがマシなんだろうか。「愚者からの賛美より賢者からの叱責を聞け」。然り、然り。

 

学ぶことの意義すら学べなかった人は不幸である。しかし、「勉強する意義がわかりません」と言って勉学から逃げた人間たちに語る言葉はないから、彼らの自業自得でもあるのだ。机に座って学ぶことだけが勉強じゃないのにね。(※アクティブ・ラーニングの話ではない)